内山明玉オフィシャルサイト

Meigyoku Eyes

5月のメッセージ

皆様、お元気ですか?明玉です。10連休も終わり、令和元年、スタートしました。
仕事や学校に、ギアを入れて、さあ出発。5月はまず、鬼門掃除 と お風呂掃除で、運気アップを。

4月のメッセージにてご紹介した、[役行者(えんのぎょうじゃ)]の七巡りが、大変、好評でした。平成最後のパワー巡礼、皆様、桜を見ながら、回られたようですね。残念ながら4月には…平成最後には…乗れなかった方、ぜひ5月に、ツツジや藤の花などを愛でながら、チャレンジしてください。パワーを頂けること、間違いなしです。改めて、役行者ゆかりの、おススメ7箇所をご紹介しますね。

神峯山寺(かぶさんじ):大阪府高槻市原3301−1
千光寺(せんこうじ):奈良県生駒郡平群町鳴川188
元興寺:奈良県奈良市中院町11
吉祥草寺(きっしょうそうじ):奈良県御所市茅原279
吉水(よしみず)神社:奈良県吉野郡吉野町吉野山579
天河弁財:奈良県吉野郡天川村坪内107
龍泉寺(りゅうせんじ):奈良県吉野郡天川村洞川494

このように役行者の修行場は、西日本に集中していましたが、東日本にもあります。

4月は前述のようなご紹介でしたが、今回は東日本ゆかりの地で役行者について触れている、縁起などを紹介している当該・関係サイトから情報を引用、あるいは、まとめております。

①高来(たかく)神社:神奈川県大磯町高麗2丁目9-47

江戸時代までは高麗(こま)寺と呼ばれており、役小角(えんのおづぬ)=役行者のこと、は、高麗寺の背後の山・高麗山(こまやま)に、高麗権現本宮、白山権現、毘沙門天を開き、別当寺として『高麗寺』を開山したと云われています。

②江の島岩屋:神奈川県藤沢市江の島2丁目5

700年、役小角がこの地へ来たとき洞窟からパワーを感じ、ここに籠り、修験道の霊場を開いたと云われています。

③高尾山薬王院 神変(じんぺん)堂:東京都八王子市高尾町2177

役小角没後1100年を迎える1799年、光格天皇は役小角に「神変大菩薩の詔」を授け、以後、小角は神変様として祀られることになった。
修験道は全国の山岳に広がり、神変大菩薩も各地で祀られるようになった。真言密教の祈願寺として開山した高尾山薬王院は、神変大菩薩(役小角)を修験道の祖として敬意をもって神変堂に祀っています。

④湯河原温泉:神奈川県足柄下郡

役行者が湯河原の渓谷の西方にある、“池峯”という山で修行を重ねていた頃、山の麓の渓谷に温泉が湧いていることを霊力によって知り、しばしば山を降りてきては、身を清めたという。そもそも湯河原温泉は、役行者によって発見された。という謂(いわ)れもあります。

⑤慈光寺(じこうじ):埼玉県比企郡ときがわ町西平386

役小角が伊豆の国に配流となり、関東を歴遊して当山を訪ね、西蔵坊を設け修験道場を開いたそうです。

⑥八菅(はすげ)神社:神奈川県愛甲郡愛川町八菅山141

明治の神仏分離政策以前、八菅山は「光勝寺」として、相模国分寺の僧侶の山岳修験の拠点であり、最盛期は、50余の院・坊を擁する大規模な「お山」として知られていた。この八菅山で開祖「役行者」が、山岳修行を行い、薬師・地蔵・不動の像を彫り、その像を投げたところ、薬師は日向薬師に、地蔵は蓑毛の大日堂、不動が大山寺に落ちたといった話が残っている。以来、八菅山光勝寺は「大山修験」、「日向修験」、と並び、修験道のメッカとなっていった。明治の神仏分離政策で廃寺となり現在は八菅神社のみひっそりとした存在になってしまっている。その八菅神社は703年修験道の開祖役行者が日本武尊ほか6神を祀り修法を行った。
そのとき八丈八手の玉幡(ぎょくばん)が山中に降臨し、神座の菅の菰(こも)から八本の根が生え出たといい、そこで山の名を八菅山と呼ぶようになった。これが八菅神社のはじまりであると伝えられています。

謂れを知り、ここにぜひ行ってみたい。といった、思い、アクションへつながれば、と。こちらは、令和最初のパワー巡礼として、おススメします。

さて、東京国立博物館・平成館で開催されている、『特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」』も6月2日まで。こちらもぜひ、ご観覧ください。明王様達が必ずやパワーを招来してくださいます。

食 も楽しみ の一つ ですが、5月は鰆 が縁起物、そして、ロールキャベツ も御利益いっぱい。鰆の西京焼きは焼き物の定番メニューです。ぜひ、夕食の一品にどうぞ。

令和元年5月13日
明玉

Meigyoku Eyes一覧へ戻る

このページのトップへ